東南海地震

リハビリ散歩2回。昨日のトイレ8回(新記録)。1944.12.17の東南海地震、東京からの疎開先(静岡県)の小学校(当時は国民学校)の授業で近くの田んぼで落穂拾いをしていたら大きな揺れが来た。でも、周りの田んぼのたまり水がぴちゃぴちゃ跳ねるのが見えただけで恐怖は無かった。ところが帰宅したら家が道路の方へひどく傾いて2本のつっかえ棒がしてあったのには驚いた。この家は料理屋の裏の4畳半の物置を借りて兄弟4人と母の5人で住んでいた。翌年、東京に残っていた父が空襲で焼け出され帰って来て6人になった。