戦況が悪化するにつれ地方への疎開者が増え学童集団疎開も始まり、当時国民学校5年生の私は昭和19年8月、母と3人の弟と共に静岡県の両親の生誕地の近くへ疎開しました。父を勤務地の東京に翌年6月の空襲で焼け出されるまで残して。その時弟は4年生と1年生と1歳でした。初めは母の、親切な兄夫婦と従兄弟3人の家へ同居させてもらいその後800m離れた料理屋の裏にある8畳一間の小屋へ転居しました。